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■性嫌悪とは
アセクシャルのセクシャリティに限った話ではありませんが、
自分には「性嫌悪」という属性を持っています。
「性嫌悪」とは、何のことかというと、いわゆる、子供を生むための行為を見ることに拒否反応を示すということです。
具体的には、気分が悪くなってしまうので、その場を離れることが多いです。
実写ではもちろんのこと、漫画の状態で描かれているものも同様です。
自己紹介のところでも書いたように、自分の心の中には、「幼少期の女の子」の魂が宿っています。
その状態で、大人の行為を見るわけですから、とても耐えられないのです。
気持ちとしては、「(やられる)女性がかわいそう..」という気分になります。
それだと、普通に子供を作られる方とは話が終わってしまいますから、自分は「服を着たままで、できることなら大丈夫」って答えています。
あと、これは自分の臆病さの問題なのかもしれないのですが、直接、顔と顔を見つめ合って、っていう動作はとても苦手としています。
■ふわもこの着ぐるみさんなら大丈夫なんです。
だから、片一方、または両方が顔を隠した動物の着ぐるみさんを着て、ふわふわもこもこの状態で、できることをいろいろと楽しむのが、自分では一番楽しめるのかな..って思っています。

ツナコさん in 虹色どまんなかパレード2015
例えば、お互いが着ぐるみの頭が取れない状態で、しっかり抱き合いながら、芝生の軽い傾斜の坂をごろごろと転がってみるのは、とても楽しいかもしれません。
他には、お互いの本来の顔は見ずに、着ぐるみさんの状態で、無邪気に遊んだり、登山(はきついのでウォーキング?)などの協力プレイを楽しんだりするのも楽しいかもしれません。
お互いの顔が見えないけれど、疲れているのをお互い気遣いできるようになれば、結構立派なパートナー関係ってできているような気がするんです。
■ひそかに思い描いている友情結婚パーティ
こんなところで書いても実現するかどうかわかりませんが、例えば、(友情結婚)パートナー探しをするお見合いパーティーが、
「顔隠しの動物の着ぐるみをずっと着ていることを前提とするパーティ」
だったら、どんな楽しみ方ができるのかな? なんて思ってます。
LGBT向け結婚への第1歩みたいな、そんな位置づけです。
全く知らない人同士が、例えば、障害物競走で、2人1組で、風船割りとか、二人三脚とか、息を合わせないとできないようなことを軽くやって、それから、ごはんの席順決めとか、パートナー決めとかやってもいいかもしれないですね。
見知らぬ人なのに、直接の素顔を見ないから、素の自分を出せるという利点もあるのかもしれません。
性嫌悪の話から、いつの間にか着ぐるみさんの話になってしまいましたが、要は、もしパートナーを選ぶことになったら、普段の生活でも、呼吸の会う人と過ごしていくのが、長続きするコツなのではないかと思うのです。
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〔参考〕